今日は夕陽が綺麗でしたね。
今更Back Number の高嶺の花子さんを聞いている。今時の曲って最初から洗練されていてなんかずるい。なんか聞いたことがあるようなフレーズとフレーズを繋いだ完成された全部みたいな感じがする。
化学反応の起こりかたがよくわかっていて、変化を無理やり起こしていくようなやり方をしてくる。
心をぐっとやる方法を知っているよな。
ムダがなくてソツがない。そしてちゃんと大事なもんをつかんで持っていくのがすごくうまいんだよね。盛大に開き直ったウケや媚なんじゃなかろうか、なんて思ってしまったわたしはとっくにゆがんでしまっているのかな?
ウケや媚やそういうものってなんかつまんないなーなんて思っていたけど、ノラわんこや子供の無邪気さとは違った、作り上げられた可愛さも悪くはないなってちょっと思った。
肝心なところでちゃんと持って行ってよズゴーってずっこけることあるもん、それよりましかもね。
偶然ではない作り上げられた本物たらしめるなんだかよくわかんない手っ取り早いってかんじの産物。それは即席の味噌汁みたいなもんか。
この歳になると、ジレンマや何かにぐるぐる悩んだりすることってあまりないな。というかほとんどないな。そんなヒマがないって気がつくからなんだけどさ。
だから分かり切ったアプローチで脳天を突然射抜いていくみたいな潔いアプローチってむしろ気持ちがいい。
求められていることを正確に読み取って表現するって、今すごく求められている能力なんだろうな。そんなことを思ってしまった。
周りを見渡しても全てが手を加えられた中でのせめぎ合い。加工された写真が当たり前で履歴書の写真ですら美肌補正が施されているよ。
そんな中で更に本物を見極めることが求められて、でも本物である必要ってなんか意味があるんだろうか?
偶然じゃなく最初から感動のポイントを作ることがなんか求められた時代って、ちょっとつまんないけど面白いって思った。
偽物であるという開き直った潔さがいまのトレンドなのかもしれないね。
でもちゃんと心を動かすんだもの。
こなれていく。わかっていく。そんな中でも新しい物を生み出し続けないと死んでしまう私たちは、本物たらしめるものなのかもしれないな。いつの時代も。