おまつりが終わって、なんだか寂しい。
今日はゴスペルのLiveでした。
この11月は駆け抜けるように過ぎて行きました。
ベトナムに行って、帰ってきて風邪を拗らせ、←
そしてここ一ヶ月あまり、どんな時もずっと頭にあったゴスペルのLiveが今日でした。
全てこの日のために準備して、毎日異国語の歌詞を覚えて、
全てこの日のために整えて
大切な人を呼んで
あれやこれや色んなことを考えて
グラウンディングが上手くなったり
チームワークを強化したり
メンバーと密になったり
歌う前のMCの内容を何パターンも考えたり、何度も夢に見たり、失敗の段階も何段階も想定して、
初めてのステージに、こんなに前段階で準備や至る所に思いや考えを巡らせることができるなんて
ああ私は大人になったもんだと思ったりもした。
大人が挑戦するっていうのは、なんていうか転んだ時はもう、大怪我。
子供の頃ならかすり傷ですんだような軽い転倒でもさ。
だからたくさんクッションや色んなものを並べてサポーターでぐるぐるにしないと怖くて望めない。
そんな自分の保守さにもとても関心したけど、気を抜いていたら風邪を引いてしまって。これは想定外で、ぬかった!!はい、ぬかりましたとも。
たった2時間半のゴスペルLiveは盛りだくさんで、本当に沢山のドラマがそこにはありました。
こんな趣味のゴスペルLiveなんだから駆けつけて来てくださったのは身内や近しい仲間ばかりで、そのひとりひとりとの繋がりみたいなものも感じられた。
ぜーんぶ終わって
今日だけは全て忘れて良くて、
歌詞もだけど、人生のうちでやらなきゃいけないと頭で思っていることその全て。
メールの返信やSNSも、(あ、ブログは書いておきたいから書いています。)
明日のために無理に眠ることや、時間も気にしなくていいんだし、
それから生きるため生活のためにしている習慣的なこと全部。(歯だけは磨かなきゃならんなあ)そんないろんな毎日やっている当たり前のことは今はどうでもよくて、順番も段取りもそういうのはもうどうでもよくて。
とりあえず全部準備してきたものが今日でひとまず片付いた。
安堵と、達成感と、沢山の溢れる感謝をを胸に、
ああ、死ぬなら今日みたいな日がいいなあなんて思ったりした。
私は死に様なんてあんまりどうでもいーやって思ってる方だけど、確かにこの心地よい疲労から、落ちるように眠りにつくように、静かに死ねるなら幸せだと思った。
そうやって、多くはないけど大好きなものたちで人生を咲かせて生きたいなあ。
死に様はやっぱり生き様なのかもしれないね。
なんだかちょっと感傷的な文章になっちゃった?
こうして熟していくことが心地よいです。
どうもありがとう☺︎おやすみなさい