はーい
スピリチュアル的な気づきをもとめ、
トパンガキャニオンのトレイルコースをひたすら歩いて来ましたよ。
そして色々と取り戻したことがあったからそのことについて書く。
トパンガキャニオンは今泊まっているサンタモニカから車で30分くらいのところにある山。
私は何故か旅行に来てまで山を登ることになろうとは…実はなるんだろうなと思っていて、リュックとスニーカー、あとお弁当と水を持って気軽なハイキングみたいなノリで山へと向かいました。
Wi-Fiも届かない山だからね、気軽な感じでウーバー捕まえて向かったは良いものの、ハイキングしている人なんかほとんどいなくて、もしなんかあったらどうしようか考えながら登りました。
目的地はイーグルロック。
ほんとに散歩に行くみたいな感じでハイキング開始。
いったいどれくらいかかるのか全然わからなくて、途中でもし日が暮れたらどうしようとか疲れて帰れなくなったらどうしようとかネガティブなことばかり考えていた。
だって結構暑いし意外と斜面も急で。
いったいいつまで続くのやら、
しかもひとりで登山なんて正直不安だったの。普段スポーツをしているわけでもないのに。
でもね、景色は開けていてすごく気持ちがよくて。だんだんとべつに帰れなくても野宿すればえーんやし、くらいの気持ちになってきたの。
山を登る間、自分の中のいろんな感情や色んな身体の変化に気がつく。
山に入って森のなかの獣道を通るにつれて不思議な感覚を取り戻していく。
小さい頃の自分が戻ってきたような。
私は北海道の山奥で育ったんだけど、
その頃は山や自然と会話して過ごしていたのよね。毎日山に出かけて、山の中をあるいて。こっちは危ないとかこっちにおいでとか、そういうやまの声みたいなものと、その中にいてその声を聞いて動くみたいな感覚を思い出していった。
そうやって歩いているうちに、身体がどんどん元気になるのがわかって、さっきまであんなに疲れていたのに、不思議な感覚だった。
そしてね
気がついたの。わたしはどうすべきやどうしなければならない、そうやって他のものに動かされるみたいなことがどれだけ多いのか。
こんな異国の地に来て、自分の家からこんな離れてまでも、帰らなきゃ、急がなきゃ、知らず識らずのうちに本能の声を無視して生きていたんだろうか。
ご飯をたべなきゃ、いい子にしてなきゃ、綺麗にしてなきゃ、そんな風に周りや作られた習慣をやりこなすようになってしまっていたんだな。
何のために急いで山を登ろうとしているのかだんだんわからなくなってきて、そしたらそーいうのが全部めんどくさくなって、子供の頃のわたしが降臨した。
時間もしがらみも気にせずにとにかくただひたすら遊ぶわたしが。
だって山の中でたったひとり。
誰もいないんだもん。
山しか見てないんだもん。
そしたらね、小学生くらいの時を思い出してきて。
あの頃って毎日道端で綺麗な石ころ探してあるいてたの。
綺麗な石ころ探して鼻歌うたっていた私が帰ってきた。
綺麗な石ころないかなー
お花が綺麗だなあ。
それが私のなんもない私なんだなあーって楽しくなって、頂上あたりのイーグルロックにもたれて少し眠ってから、
また元気に鼻歌歌いながらゆっくり山を降りて行った。
不思議と来た時の不安や恐怖はなくて、ああ、この感覚で東京でも過ごせるならいいって思った。
毎日いそいそいきるんじゃなくって、
宝物を探すみたいな、それを積み重ねるみたいな毎日に戻ろうって思った。
24時間を毎日繰り返すんじゃなくて、私の中にはいつも純粋で可愛らしい子供の魂がいて、その子はいつも、一番大切な事を知っているんだから、そのこを喜ばせるように毎日をすごさないといけないんだなあーって。
もちろん、それは私が大人になったから可能なわけで、その子を喜ばせることも守ってあげることも全部自分でできるんだもん。
帰りもなんとかなるだろーって
Wi-Fi繋がるところまで歌いながら疲れたらヒッチハイクもして、ほんと大冒険してホテルまで帰ってきた。
子供のようなこの魂を私はいつでも大切にしたいって感じた。
まだまだ冒険の旅は続く…