ハロー台風らしいですね。
目覚めてから数時間、気づいたら一度も布団から出ずに、ブログを書いていました。今日は溜まりに溜まった私の研究や想いを、ブログにしたためる日なのでしょう。私はインプットの時とアウトプットのときにかなり偏りのある人間です。あと馬鹿みたいに嘘が付けません。
多分馬鹿なんだろうと思う。
言語もこの地球や日本には当たり前にある言葉や感覚なのに自分の辞書の中には本当に存在しない言葉もたくさんあって、反対に地球にはあんまり存在しないような感覚や言葉は無限にあるような気もする。
最近の自分の女としての生き方の真髄を探るとルパン三世のような世界が思い浮かびます。多分今私には好きな人がいて、その人との関係性やこれからどのように展開していくのが自分にとっても相手にとってもちょうど良いのか、そんなことをすごくよく考えるから、不二子のような精神になっているのだろう。
かつて高校生の頃の私は好きな男のタイプがルパン三世であり、峰不二子とはただの欲望の塊で、色っぽい女の完成形みたいな、自分とは似ても似つかない遠い存在だったと思う。
その人との在り方や、私自身のこれからの人生をひとつの縦に長い階段を一段一段登っていくとかんがえると、そのうちに自分のキーになる人が現れる。
それがルパンだったり銭形のとっつあんだったり、悪の親分だったり、するのだ。
私は峰不二子のようにナイスバディでもないし、大型バイクやヘリコプターをかっこよく乗りこなしたりはできないけど、私の魂はいつも峰不二子とともにあったように思う。
彼女の在り方や格好良さは、自分の人生に忠実にコミットメントした生き方だろう。自分の生まれた全てを受け入れ愛し、手に入れる為には持っている全てを最大限に使う。
彼女は完全に自分という人間を理解してはばたいているのだ、そんな風に思う。
恋人との関係は特に毎日を一緒に過ごしている必要はもうないのだと思っている。いつも一緒にいることや、いつも愛を確かめ合う必要なんて大した意味はないんじゃないかと思っている。
わたしには社会の常識としての恋愛や生き方の枠でうまいこと自分を騙して生きていたような、そんな時代があったのです。
恋人とは毎日毎日愛を確かめ合う為のものである、恋人が与えてくれた時間やお金が私の価値であり全てであると思い込んでいた時代、その全てが間違っていて、そんな愛を生きていた頃の私は自分のことを親を求めるまるで幼い子供のように無力でなんにもできない、そんな風に扱っていた頃がたしかにありました。
まるでツバメのヒナが口を開けて親鳥の帰りを待ち続けるみたいに、必死で真っ赤な喉をみせて、ぴよぴよピーピー可愛らしく鳴くことばかり上手になっていた。
そんな私がひとりを楽しんで生きることやまず自分の人生の軌道を確保するまでは自分中心に生きると決めて、そのように人生が回り始めてから、チラチラと私の中に峰不二子という女の存在が現れ始めた。
私はこの歳になってからようやく大人のいい男と対等に出会うようになった。
かつての若い頃の私が憧れ、恋い焦がれた先輩や先生や、一線で活躍しているようないい男が目の前によく現れ私をひとりの女性として扱ってくれるようになったのです。
安易にひよこピーピー時代に結婚などしなくてほんとうに良かった。20代後半から30代中盤までの約7年間、結婚というキーワードにどれだけ苦しめられたことか。今となっては本当にアホらしい。
人生は一筋縄ではいかない。
いつもその高みに到達しないと見えない景色がり、出会えない人がいる。
私がもし一時の焦りでその道を選んでいたならイヤイヤなつまらない毎日だったろうし、今出会えた信じられないような奇跡の体験ができなかったことだろう。
しかし、私はやっぱりこれからも自分に自由でいたいし、ルパン三世のような男にいつまでも追われ続ける峰不二子のような最高にいい女でい続けたいと思ったのでした。
そしてその人も私と出会ったことによって不自由になるのでは意味がなく、私といることでどんどん世界が広がって、どんどんチャレンジしていける、時にはチームとなり、時にはライバルみたいに刺激を与えられるような、ルパンと峰不二子みたいな関係が最高なんじゃないかなってそう思ったのでした。
だってダラダラとした日常や安定ほど恐ろしいものはないのだもの。
私にもやりたいことがあるんだから、同じくらい外に向かっている人がいい。
これから先の人生がどんどん広がっていくような人がいい。
そして私はその人の深さや広さや野心やそういう他人には簡単には分からない気持ちや価値観を、全てわかっていつもそれでいーじゃんって確認できるようなそんな女でありたいなあ。なんてそう思った。
私の昔から大好きだったルパン三世は、峰不二子のような女が相応しく、そしてわたしはそのようにかっこいい(あと面白いっていうのもいいよね)そんな女として生きて行こうと誓いを立てるのだった…
続く…?
興味深い記事が見つかりました。
以下引用です。
峰不二子=変化者は、心理学の概念「アニムス」と「アニマ」の力を表現したもの。
アニムスとは、女性の無意識に潜む男性的な要素であり、アニマとは、男性の無意識に潜む女性的な要素。
男性も女性も、社会に承認されるために、男らしいとか女らしいという仮面をつけて生活しています。そのストレスを解消し、心のバランスを保つために、人はアニムスやアニマを持つのです。
また、ひとは中年期になると、アニムスとアニマの統合が進み、その両方を受け入れるようになり、自己実現に近づくと考えられています。
https://news.ameba.jp/entry/20120415-655
つまりわたしが研究している性の融合と峰不二子は深いつながりにあったというのです…!
なるほど!