はるかです。最近めっきりスピリチュアル系のネタを書いていなかったので、今日はアニマとアニムスのお話と、自分の中で性を統合していくことの意味やその方法について、わたしがわかったことを書いていきたいと思います。
うまく書けるかは分からないけれど、最近私の不動産の方のお客様で、自分のツインレイに出会ったという方がいたので、私の周りでもどんどん内面の性別の統合が起こり、そんで片割れと出会う人が増えて来たのだとそんなことを思いながらこの記事を書いています。
ツインレイとの統合、それはある意味伝説や神話のようなものだと感じるかもしれないし、また、本当に神話に過ぎないのかもしれない、そのようにも思います。
私も確かなことは言えないけど、私が今そうかもしれないと思っていることは、必ずしもツインがいつも同じようにひとりの魂として生まれて来ているとは限らないということがまず言えます。
想いは分裂し、魂もひとつではなく、私というひとりの人間の中にはいくつかの魂や精神やそんなものがまとまって転生している、そんな風にも感じるからです。
いくつもの人生を生き、いくつもの経験を重ね、誰かの魂がくっついたり離れたり、先祖の想いが生きていたりね。
なんせ宇宙のエネルギーにしきりや枠がないなら、私という宇宙もまた凄まじいエネルギーの集まりであると言えるから。
ツインレイについて、インターネットで見つける記事は古く、かなり偏りがあるように見えます。
ツインレイは似た背格好をしているとか、ツインレイと出会うと苦しい別れや試練があるなど、そんな嘘か本当かわからないような事が書かれている記事が多いと感じます。全部のツインとの出会いがそうなわきゃなかろうが。
しかし私はそんな記事を手掛かりに自分の恋愛になぞらえ、そんな人はどこにいるのか、いったい誰がツインなのか探し、考え、その場所に行ってみたりしていた頃がありました。
でも今考えると、ツインレイを探しているうちはその存在と出会うことはできない、その意味も今となってはわかります。
ツインレイはその神話を知り、探し、自分自身に帰って来る、その過程に意味があった、そのためのありがちな物語のようにも今となっては思います。
青い鳥のお話のような、ね。
恋愛というのはテーマがあって、その時その時に必要な相手と必要なまなびのために出会っているのです。
もしかすると自己の中のアニマとアニムスとの統合を完全に意識的にしていくと、ツインレイと呼ばれるような奇跡の存在にめぐり合い、それによりさらに統合が深まり、この世界に私たちが生まれてからしなくてはならないことを成し遂げる道が拓けていく、そんなことが起こっていく、つまりツインレイやツインソウルと出会った時に感じる感覚が起こる、そのようなことなのかもしれません。
なんていうか、自分にはツインがいるのでは無いかということを仮定して、探し、それをきっかけに自分自身を深めていく教科書や参考書みたいな存在の神話で、その過程や成長そのものにまず意味があり、ツインレイ神話のような魂や関係性になっていくのではないか、そんな結論なのです。
だからツインレイ神話っていうのは手っ取り早く言うと、自己成長の果てに自己成長したエネルギー同士で自分ひとりだけでは到達できない世界に行くために違う魂と融合するっていうそのためのストーリーなんじゃないかなってこと。
だから魂が分離してお互い生まれてきていてその存在を探すのが試練なのではなく、
エネルギーは流動的であり、日々変化しているのだから個の存在に固執してパートナーを探すのではなく、自己統合と自己成長の末に、同じような段階まで成長してお互いがぴったりと重なる形に変化した、まるで魂の片割れやもうひとりの自分のような形に成長を遂げたツインと引き寄せあい出会うのではないか、
感覚や考え方としてはそんな感じじゃないかなって感じています。
伝わるだろうか。
その道筋は100カップルいたらそれぞれが100通りずつの自己成長と自己統合の過程があり、それぞれのカップルが出会うタイミングや結ばれるのもストーリーも100通りあるということですよね。
さてさて、
アニマとアニムスの統合について書く時には、あなたの中の男性性と女性性について教えてください、それからあなたにとっての女性性、または男性性の役割や人間としての役割について思うことをお知らせください、そんな問いかけが良いでしょうか。
私たちの魂はそれぞれこの地球に来る前にいくつかの目的ややらなければならないことを決めてから来ます。
それはひとつだけじゃなくていくつかのことであり、いくつかの役割であり、いくつかの経験です。
例えばわたしは表現者として、自分の身体や能力をつかい、芸術や表現活動を通して人々の自己成長を助けることや
単純にヒーラーとして地球の波動をあげることもそう、
それから自分自身がたくさんの経験や体験を通して成長すること、魂を輝かせることもひとつ、
そして私はもうひとつ、こどもをふたり以上産むことも約束して来ていて、それはノルマって言ったら言い方が悪いけどそれに近くて、私が次この世界に生まれて来るためにはこどもをふたり以上産んで育てないと次の転生が難しくなるということ。
まあ、そんな感じでいくつかの役割ややりたいことを決めて来ていて地球はそれを実行していくためのステージなのです。
今の時代、この日本はアニマとアニムスの統合がしやすい時代になったのではないかなあって感じています。
なんかね、自分の自己成長っていうのの一つに自立ってあるでしょう?
経済的な自立や、精神的、肉体的な自立のと。
日本は女性の人権をないがしろにしていた時代があり、その時代のせいでアニマとアニムスの統合について遅れを取ったんだって。
私たち女性は長いこと本当の自立を許されず、人間扱いされずにきたと思う。
だって未だに女性のことを性器や穴としか思っていない男の人もいるし、それから、逆もそうで男性のことを経済やお金、生活としか思っていない女性もいます。
でも、その価値観でいると、いつまでたっても自分のツインレイやツインソウルに巡りあうことはないでしょう。
もし仮に出会ったとしてもお互いが未熟な段階なのでカルマが生まれ、結ばれるまでに急激な自己成長が求められるでしょう。
個々のアニマアニムスにも段階があり、今の自分の段階がどこにいるのかわかっておくだけでも自己の統合に役立つのではないでしょうか。
http://www.kyamaneko.com/entry/2016/06/04/214806
『アニマ(男性の中の隠れた女性性)
第一段階(性的なアニマ)
母親からの分離を意味し、生命を生み出す女性に性的な興味を抱く段階だ。
周囲に性的な話をしたり、外見的なセクシーさに強く惹かれたりする。
第二段階(ロマンチックなアニマ)
第一段階の「女性ならだれでもよい」段階から、「ひとりの女性の人格を愛する」段階になった状況。
西洋の文学などでふんだんに扱われてきたような、情熱的な恋愛をする段階だ。
過去の日本においては母や妻を家に縛り付け、女性としての個性を認めなかった。その結果について河合隼雄氏は、「女性の人格を認めなかった歴史があるため、社会での女性像が限定的になっており、日本人男性のアニマは第二段階に達しづらい」としている。
第三段階(霊的なアニマ)
恋愛を超えた段階だ。聖母マリアや美の神ヴィーナスによって示される、霊的な愛の段階である。
母性と乙女の清らかさを持ち合わせた女性像が現れる。
第四段階(叡智のアニマ)
愛すら超越した段階である。仏教の弥勒菩薩によって示される、静かな優しさと叡智を兼ね備えた女性像が現れる。
アニマの統合について
ユングは実際の臨床経験を通して、アニマの発現に上記のような四段階が観られることを述べている。
また、アニマがこの四段階を経ると、ついにアニマは姿を消し、自己の一機能として統合されるのだという。
なお、男性の中のアニマが投影されるのは実際の女性だけではなく、自動車や架空の存在に投影されることもある。
アニムス(女性の中の男性性)
第一段階(力のアニムス)
男性の肉体的な強靱さやスポーツ能力を持った男性像として表される。現実として、身体能力に優れた外見のよい男性に惹かれる。
第二段階(行為のアニムス)
意思や目的を持った男性像として表される。現実として、力強さや実行力のある男性に惹かれる。
第三段階(言葉のアニムス)
理論的な思考力と発言力を持った男性像として表される。現実として、言葉を使いこなす男性に惹かれる。
第四段階(意味のアニムス)
哲学性や精神的な指導性を持った男性像として表される。
アニムスの統合について
客観性や理論性が求められる現代において、社会で活躍する女性は、第三段階の言葉のアニムスの時代に苦しむことになる。』
このアニマアニムスというものを外側に求めるのではなく、自分の中で統合すると、統合したもの同士が出会います。
一見完璧な人は一人で生きていけるように見えてしまうかもしれませんが、ひとりで生きていく、そのステージに立ってから、お互いが更なる高みを目指すためにツインレイと融合するのです。
そりゃ、生活のために相手を選ぶと生活の為の人生が、性的な満足の為に相手を選ぶと性に満たされた人生がそれぞれ得られるかもしれないけど、自分で全部完結できるなら、それに越したことはないです。女性も男性も自分を一番ベストに満たせるのは自分以外にいないということにまず気づく必要があります。
そしてその末にさらなる高みを目指す為にツインとの融合があります。
長くなってしまった。
今日はここまで!
またね