はろー
はるかです。
久しぶりに雑談みたいな記事を書いている。
最近はめっきりこうして書くということを疎かにしていた。
スピリチュアルの世界や現実の世界を行き来するのはもうとっくに飽きてしまい、私は今というこの瞬間こそが全てなのではなかろうか、そんな風に時間軸の中に身を委ねるように、導かれるように毎日を送っていた。
私は何者でもなく、ただ今というこの地球の細胞の一部に過ぎないのだ、と。
必要な出来事は必要に起こり、縁のある人とだけ巡り会い、そして私が海に向かうように私の生きる世界に向かって、流されるでもなく、今私が本当に私らしく生きるということ、ただそれだけをしていく。
そのために全てをしていく。
私の生まれてきた意味や追求していくこと、それは今この瞬間の世界のためにしか無く、歴史や時代の流れやその全て、愛や、宇宙や、言葉や、目に見えるもののその全て、全てがこの瞬間のために用意されたことなら、全てが既に許されているのかもしれない。
昨日のインタビューというか対談は、少し光が差した対談だった。
新しい世界をみせてくれた、と同時に私が昔いた特殊な世界を思い出させてくれるような対談というか飲み会だった。
昨日の相手はフリーの映像カメラマンの男の子だった。
なんのためのそれなのかは本当の真意は後になるまでわからないのだ。
彼との対談は遠い私の心の奥底に眠っていた創作意欲みたいなものを掻き立ててきた。
彼は私がかつてまだクリエイターとしていきていた頃の世界を生き続けている魂なのか、はたまたその世界でしか生きることができない魂なのか…。
そうそう、暫くの間私は迷子ではあったのだ。
どんな迷子かというと、自分の生きる世界ではない場所で光続けないといけないみたいな迷子。なんだか世界を照らし続けなきゃいけないみたいな使命感。
なぜ、私は光り輝く中で光る事を選ばないのか、何故私はずっと輝きたい世界で活躍することが不可能だと言いつづけているのか?
というか、そんな場所はない、輝きたい世界なんてないって思っていたんだけど、やっぱり最近退屈なの。
もしかしたらずっと2番目や3番目以降にやってみたいことや出来そうなことにばっかり時間を使っているのではないか?
本当はもっとやらなきゃいけないことがあるんじゃないか、深い世界に到達するためには、私が自由に泳げる世界があるんじゃないか。
それ以外の世界で何か追求したって、いずれは底が見えてしまい退屈でつまんなくて、じれったくなって飽き飽きとしてしまう、そうなんじゃないのか?
思った以上に人生って長くて果てしなくて、何もないままで終わってしまったりしなくて、命が与えられたものには平等に困難や波乱万丈が用意されているとしたら、私はまだ挑戦できていない世界があるのではないのか?
ってね。
さて、そろそろ始めましょうか。
お知らせとしては、目醒めたあなたはどこに命を燃やすのか?
魂は全てを知っているし、DNAには全てが刻まれていて、やっぱり逃れられない、それは運命。
運命とはDNAに刻み込まれた抗うことのできない自己なのかもしれない。
んじゃ、おたのしみに♪