今万華鏡の研究がものすごくしたい。
アカシックレコードの研究から何故か万華鏡の世界に興味を持ち、万華鏡の世界とどうやって繋がったら良いのか考えています。
私は子供の頃からモラトリアム期(高校生くらいまでかな。)まで、ずっと絵を描いている人間でした。
それで、美術大学まで目指したというのに、途中で全然必要なくなっちゃってね、やめたというか、ほんと必要無くなっちゃったんだ。
私が絵を描いていたのって、それしか親から許されていなかったって最近になって気がついた。
私が絵を描くと喜ぶわけ。
そこにはお金を掛けてくれるのよ。
でもそれはおいておいてクリエイティブなことは大好きだったんだよ。
絵を描くのが多分スタートだったとは思うんだけど、私は、表現するっていうのは全て同じだなって思うの。
うたを歌うのも、こうやってブログや文章を書くのも、スポーツだってそうだし、お芝居は究極じゃないかって思っている。
でもね、全部違うんだよね。
意図や意味や方向性や、そういうもの。
その時に応じた手段を取っていく、それに過ぎないの。
だから何でもいいんだけど、何でも良くないの。
成長するにつれて、その表現の種類は変わってもいいの。自分が1番いいと思うことを選ぶことが最も大事なことなの。
あのね、表現とかARTってコミュニケーションそのものなんだよ。
だれかと繋がることなの。
だからその表現はどんな形であれ、すごく美しくて広がりのある、素晴らしいものだと思う。
そんで、最近また表現の手段を色々探しているの。
創作活動的な。
うちの父親は国語教師が仕事で詩人なんだけどさ、家族みんなから干されながらも、仕切りに私に絵を描いてきて欲しいって言ってきて困ってる。
自分の詩を自費出版するための挿絵にしたいんだって。
父に対してはいろんなことは思うんだけどさ、万華鏡を思いついた。
万華鏡の写真を送り付けるの!
すっごくいいアイディアでしょ?
正直もう10年以上絵なんて描いてないから、もう、昔のようにうまく描けないんだ。
その代わり沢山のコミュニケーションを手に入れたけど、というかコミュニケーションを手に入れたから絵を描く必要が無くなっちゃったみたい。
もっとアクティブな表現が好ましくなったというか…
父はずっと私が職人活動することを望むので、譲歩案を考えてあげる優しい娘…
今なら万華鏡に興味があるから、ちょうど良い。
万華鏡の写真はきっと詩の挿絵にちょうど良いと思う。
じゃ、スピリチュアルの研究に行ってくるね♪
またね(^-^)☆