スピリチュアルの研究中。
色んな研究から、またはスピリチュアルなお仲間からの有難いご助言から、更なる研究のきっかけにたどり着いた。
それは悟りやワンネス、非二元ということで言葉の意味はきっとひとつのことを表しているのだろう。
私がスピリチュアルを意識したのはすごく最近で、スピリチュアルカウンセラーを名乗るにあたっては浅いのではないかと少しの焦りがあった。
が、なんだかもしかしたら知らなかっただけで、悟りやそれに近い感覚は既にわかって生きてきたのかもしれない。
エネルギーワークの世界を知って、アカシックレコードと繋がって私が思い出したひとつの確かな記憶がある。
それは私がまだ肉体を持たぬ、宇宙の信号にしか過ぎなかったときの記憶だ。
果てしなすぎる空間に、私の意識だけが宇宙に漂っているような状態だった。
私が全てで宇宙でしかなかった時の記憶です。
そのときはまだ言語という感じや意識はなかったと思う。
しかし、肉体を持って、日本人としてこの日本に生まれてきた今、そのときの私が強く願っていたことが今この私そのものである、そういう答えに巡り合った。
その時、強く強く強く、願っていた。
どうしても身体が欲しい。
地球人として生まれたい。
そうしてなしとげたい。
身体がなければできないことを。
悟り。
それはそんな宇宙の信号だった私自身が肉体を持った上でこの世を快適に生きるための処世術だったのだと感じた。
そうしないと地球を生きるには🌏本当に大変だから。
肉体をもつということは本当に大変なことなのだ。
人魚姫のお話知ってますか?
アンデルセンの。
この肉体のことを考えるといつも思い出すのは人魚姫のお話。
彼女は恋をして、人間になりたいと願いました。
https://matome.naver.jp/m/odai/2143671214455654301
でもあんなに憧れたのに、
尻尾がとれて手に入れた足には、一歩ごとに鋭いナイフの上を歩いているような痛みが走ります。
地球で生きるってこの人魚姫が人間になった感じに似ていると思う。
たくさん不自由で大変なことがあるのだもの。
ああ、そうか。
私はこの感覚を言葉にして表現していくこと、悟りというか、ワンネスというか、これは肉体を持っているからこそある不自由さを改めて手放す為に、意識するための感覚に過ぎないのだ。
そして肉体を持っている人達の抱える、肉体があるゆえに不自由になっていることを解放していくことが、
言葉やこうして私がブログに書いていくことのひとつなのかも!
そんな気付きに行き着きました。
悟りは悟っているということが大事なわけじゃないんだって。
それを生活に活かしていることが大事なことなんだって!
発見。
少しずつ解き放たれていこう。
楽になろう。
そんなことなら、私は昔からわかっていたわ〜〜(^-^)♪安心した。
こんなに不自由な人間の身体を持ってまで、あなたが本当にやりたかったことはなんですか?
またね☆