はるかの遥かなる毎日

恵比寿の占い師&ヒーラー&うたうスピリチュアルカウンセラーはるかのページ☆ゆっくりしていってね

何もない、ただ自分だけがあるとしたらという視点。新しい時代にとってのセックスとバイオレンス。

ハロー!

新月が過ぎて、今日はとても身体が重い。というのも昨日の夜に残り物の食材で作ったレタスチャーハンが、ナンプラーをびゃーっと入れたらめっちゃしょっぱくなっちゃって、たくさん水を飲んで寝たからかもしれない。

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体内が海のようにしょっぱくて重たい。新月なのにわたしのからだは満月のように身動きが取れない。

そんなときはこんなテーマについて書く時はちょうど良い機会なのかもしれない。

最近はインプットというか、周りから振り回されるようなことばかりで、振り返る間も無くどんどんと時間がすぎていました。たくさんの疑問が湧いて、そのことについての答えが見つからないうちに次から次へとハプニングが起こって、でも一貫してあるテーマが見えてきた。

それは、バイオレンスな事、今その激しい世界が終わろうとしていて、どんどん世界で膿出しのようなことが起きているんだろう。そんな風に感じます。

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スピリチュアルな観点からセックスの事を書こうと思うと難しい事のような感じがするけど、コミュニケーションとしてのセックスは私にとっての長いテーマで、それは両親の関係からずっと長く考えさせられてきて今もなお続くようなことで、セクシャルなことという意味でのセックスだけじゃなく、自分以外の存在との関係性ややりとり、スキンシップ、コミュニケーションについて、この事を書く事はなんの恥ずかしいことでもない。

ただ書くことは簡単な事じゃない。

そうも思う。

今たくさんの世界が交わっているこの場所では、この日本にさえヴァイオレンスで、闇で、ジメジメとした世界が今だに存在します。

でもさーわたし、気づかなかったんだよ。割と気楽に生きていて、まだまだ人にやらされたような、他人に自分の感情をぶつけないと苦しくて生きられないようなそんな人もまだ結構いて。

その役割をパートナーに担って貰っているような。

私は他人に感情を丸ぶつけすることって恥ずかしいことだって自分に言い聞かせるみたいに生きてきたのよ。

 

でもさ、そんな風にふたりで支え合って、傷を舐めあってそうやってようやく立っていた、そんな時代もあったし、私はそんな時代を一生懸命生きていたあの頃の両親の子供なのだもの。

そこからたくさんの事を学んだんだもの。

 

セックスについての価値観は私の子供の頃から振り返ってみると時代が流れるに連れてどんどん変化していっています。

最近は性についてやジェンダー、宗教や今までタブーとされてきたことがどんどん明るみに出てきていてオープンになっていて、もう自分に正直に生きてもいいんだよ、そんな風に言われているようにも思う。

たとえばセックスレスという言葉が長くあって、それは『有った』という観点からその状態をみると『有ったのに無くなった』そのように思うのは当たり前で、でも時代が変化してないと思うと苦しいしなくなったと思うかもしれませんが、

本当に時代が個になってきていて、人間の生態も研究されてきていて、誰か他の人を傷つけたり自分のエゴを押し付けなくてもそれが自分ひとりで解消できるようになって、すごく楽になったというところもあるよね。

 

 

女性と男性が平等に渡り合えるようになってきて、女性は男性に経済的に依存する必要もぐっと減ってきたし、男性も女性も行き場のない性欲や感情を誰かに押し付けるような事をしなくても良くなって。

だから中性的な人が増えていると思うし、なんだか少しずつ平和に近づいているみたい。

その依存関係がなくなってきて、本当は楽になっているところもあるし、夫婦関係や恋人関係のあり方やコミュニケーション、スキンシップを改めて考え直すのも良いのではないかなそんな風に思うの。

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セックスと一言でパートナーのコミュニケーションのことを丸めて言ってしまうのはなんかつまらないなって思うのよ。

でも気軽に繋がれて、中々深い繋がりを持つ必要がなくたこの個の時代だからこそ、パートナーとはもっと繋がる事を考えないといけないし、もっとからだや心を通わせるスキンシップやコミュニケーションのあり方を追求する必要があると思う。

スピリチュアル的にセックスの事を書いておくと、交換と融合の意味があります。

なんの交換かというとエネルギーの交換や遺伝子の交換、それからマインドを合わせるみたいなこと。

エネルギーの事を書くと、私は人との出会いや違う土地を訪れた時にその土地や人と繋がったという感覚があり、だから呼ばれるようにその国や土地に行ったり

会うべき人に会ったり、

そうやって自分のエネルギーをその土地のエネルギーに合わせて繋がったりすることで、自分の器を広げたり新しい感覚を得たりします。

代わりにその土地に新しいエネルギーを循環させたり、平和や平穏、活動的なエネルギーや波動をあげること、そんな役割であるとも感じています。

 

そしてセックスにもその意味があります。エネルギーや精神的、肉体的な交換と融合。

そしてそれを通して新しいエネルギーが生まれるようなこと。

しかし、セックスの全ての行為がそうなわけではなく、その行為を通してそのように繋がることが大切というだけで、

別に最後までしなくたっていいんじゃないかなって最近思うところもあります。

なので、パートナーとのセックスについて考える時にあなたはどこからどこまでをセックスと思いますか?

そこのつじつま合わせはそれぞれが違うと思っていて。これも100組のカップルがいたら100通りあってよいと思うの。

 

だから、一般的なセックスをもう基準とするのは辞めて、自分と相手には何が必要なのかをよく考えてみてほしいの。

それは今もしたった一人で生きていたとする。その観点から。

毎日朝起きたらおはようと言える人がいるってこと、毎日ハグやキスをしてそうやってエネルギーを交換してたら割とセックスしなくてもいいかもしれないよ。

いくら時代は個になっても、私たちは人と繋がらないと生きていけない。

だから葛藤が生まれるし、面白い事に個になればなるほどそれが浮き彫りになっていく。

今はほとんどを自分でなんとかして、でもどうしてもなんともできない事をパートナーと交換する、そんくらいがちょうど良いんじゃないかな。

だからセックスレスと言われてるカップルは、時代的にもうそっちのほうが自然かもしれないよね。

よく考えてみてね、セックスしてないから悩んでるのか、それとももっと大事な事で繋がれていないから満たされていないのか。

世の中のカウンセラーの人は夫婦や恋人関係にはセックスが『有る』ことが健全という視点で見ているから『無くて苦しい』になってるけど、それ以前にみんなひとりの人間で個人と思って考えた方がいい。

 

もう無理にコミュニケーションのセックスしなくていいとしたら、楽なんじゃないのかな。

いや、したい人はすれば良いんだけど、これは趣味嗜好の問題で、セックスって一番最後なんだよ。

たくさんおしゃべりして、相手を知って体の前にまず心が繋がって、それでも相手を知りたくて繋がりたくて、そんでやっとそれなんじゃない?

そうじゃないセックスってただの暴力でぶつけ合ってでも好きだから受け入れるみたいな、そんなのもうしなくていいんじゃないのかな。

だから、どんどんどんどん細かくしていって、コミュニケーションでお互いのやなことはしないで、もっともっと深いところでパートナーと繋がるコミュニケーションを目指してみたら良いんじゃないかと思いました!

 

もう悩まなくていーんだよ。

ひとりひとり愛情の泉があってそれを与える事が喜びだし、受け取ってあげることもまた喜びだと思います。

そうやって交換することがパートナーの役割で、それが必ずしもセックスとは限らない、そんな風に感じました。

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今日のカレー♪

恵比寿 GOOD LUCK CURRY◡̈⃝

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