最近は宇宙が活発に新陳代謝を繰り返しています。
良い出来事だとか悪い出来事、そんなふうに判断してしまうと世界は酷く真っ暗で、神様なんていないのかもしれない、いるとしたならなんて意地悪で無慈悲なんだろう。
そんなふうに思ってしまう人もいたかもしれないね。
人生っていつ何があるかわからない。
どんな人だって、ただ何もなく平凡に生きているだけなんて人はひとりもいないんです。
誰もが愛されて生まれてきたから今があるし、だからこそ、生涯のうちで愛するものとの辛い別れがあり、胸を切り裂くような酷い苦しみは避けては通れないことなのかもしれません。
今日はそんな絶望やどうにもならないような事について書いてみようと思ったけど、言葉が見つからない。ずっとぐるぐるしている。
人の命や、定めや、運命みたいなもの。
私たちはこうして生きている、そしてすべての生きとし生きるものが終わりに向かっている、その事実について。
全ての魂はこの世に生を受ける時にある程度の人生を決めてきます。それは物理的なことや具体的な事ではなく、それぞれの魂が身体を持った時にどんな試練を受けるのか、そしてそれによってどんな学びを得るのかというようなことをです。
私たちはその為に親を選び、環境を選び、この魂の器である身体をそれぞれ選んで生まれてきているのです。
しかし、その事は生まれる時にすっかり忘れてしまいます。生きている過程で思い出す事もあれば、忘れたまま命を終えることもまたあります。
いのちってなんなのでしょうか。
人の命に関わる時、世界が180度変化してしまうという体験をした事があるでしょうか。
命の始まりや命の終わり、そしてもしかしたら命を落としてしまったかもしれないような出来事。
一生の間に、人は自分自身や愛する人の死と何度か向き合うことがあるでしょう。
もし私たちが恵まれていて特にぱっともしないけど平凡な人生を送る事ができているなら、それはかなり幸せと言えるのかもしれない。
私はスピリチュアルな目覚めがあり、今はスピリチュアルカウンセラー、占い師、ヒーラーとして活躍し始めたけど、病気やいのちのこと、もっと深めていかなくてはいけないなっておもっている。
この地球では、
いいことと悪いこと
そのように分けてしまうことがある。
でも今目の前に起こっている、ひどい現実、悪いこと、それが自分からまるっとなくなってしまった世界って、どう思う?
その世界を想像する時に私は『定め』とか、運命とか、自分だけの、たったひとつしかない道
っていう感じがするんです。
その世界を想像すると、何の為にそうなっているのかの答えが見えてくる。
いのちについて言えること。
それは私たちだって、この一瞬先には何が起きるかわからないんだってこと。
今この身体があって、人生が動いていること、このことがどれだけ凄いことなのか。
明日は誰にもわからないんだから。
だから、生きている方が奇跡ってことなの。
生きてる人は本気で人生やらなきゃ、死んでいるよりもずっと苦しいし、せっかくの奇跡なのだから。
小さないのちが教えてくれたこと。
今はそうとしか言えないの。
2020年という年